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ミュシャ・MUCHA

アルフオンス・ミュシャは、現在のチェコ、モラヴィア地方に生まれ、アールヌーヴォーの頂点を極めた画家であり装飾芸術家です。ミュシャの芸術様式は、祖国のチェコ、パリを中心とするヨーロッパ、日本、ビザンチン、イスラムなど多様な造型要素を受け入れ形成されており、コスモポリタンな芸術家でもあります。ミュシャは19世紀末に花開いたアールヌーヴォーを代表する芸術家ということでも多大な評価を受けてきました
ミュシャは人生のほとんどの時期を芸術に費やした作家です。特に1894年から1904年までの10年間は、ミュシャのその後の人生に大きく影響を与えたポスターをはじめとする創作が行われました。特にパリ滞在中にデザインした、女優サラ・ベルナールのポスターの数々は、ミュシャの名声と人気を絶対なものにしました。花々のつる状の曲線と、華麗でしなやかでかつ繊細で長い描線を特徴とする作品です
そのポスターでミュシャ、大衆の支持を得て、文化的価値はもちろんのこと、商業的な価値をも高めたポスターの製作、本の挿絵、装飾芸術などさまざまなオブジェ、商品パッケージなどのデザイン、広告など、広い意味でのアートディレクションの仕事も数多くこなしました。
1860年
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7月24日、現在のチェコ、モラヴイアで廷吏の息子として生まれる。 |
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1873年
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雑誌「モテット」の表紙を描くはじめてのデッサン。 |
1879年
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ウィーンに赴き、舞台美術工房で働く。 |
1883年
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コーエン・ベラシ伯爵に雇われ、エマホフ城の絵画を修復する。 |
1888年
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パリに出てアカデミー・ジュリアンに学ぶ。 |
1890年
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雑誌に挿絵を描いて生計を立てる。 |
1891年
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ゴーギャンと知り合う。 |
1893年
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写真機を購入し、撮影を始める。 |
1894年
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サラ・ベルナール主演のポスター製作好評を博し、翌年から6年間のポスター契約を結ぶ。 |
1895年
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「ラ・プリュム」誌の画廊、サロン・デ・サンの展覧会に出品本や雑誌の表紙を精力的に製作しはじめる。 |
1897年
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ギャルリー・ド・ラ・ボルディニエールで初個展。 |
1900年
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パリ万国博覧会で、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ館の装飾を担当。 |
1901年
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レジオン・ドヌール勲章受賞。 |
1902年
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プラハで開催されたロダンの大展覧会に、ロダンと共にプラハへ。 |
1904年
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アメリカに招かれ、ニューヨーク、ボストン、シカゴを訪問。 |
1906年
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マリア・シティロバとプラハで結婚妻と共にアメリカに渡る。 |
1909年
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ニューヨークの新ドイツ劇場の装飾を依頼される。 |
1911年
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プラハ市庁舎の壁画製作開始。 |
1919年
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スラブ叙事詩の最初の11点をプラハで公開。 |
1931年
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プラハの聖ヴイダ大聖堂のステンド・グラス製作。 |
1939年
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7月14日、プラハにて没享年79歳 |
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